大久保平安祭典会館
西神エリア
大久保平安祭典会館からのお知らせ
2017年01月24日
お葬式の豆知識 「涅槃絵」 について
2月15日は「涅槃会」となります
●涅槃会(ねはんえ)とは
涅槃会とは、陰暦の2月15日、お釈迦様の入滅(にゅうめつ=臨終)された日
に、その教えや徳に感謝するために営まれる追悼法要です。
涅槃会では、本堂などにお釈迦様の臨終の姿を描いた「涅槃図」が掲げら
れ、お釈迦様の最後の説法を記した「遺教経(ゆいきょうぎょう)」が
読みあげられます。北を枕に西を向いて横たわるお釈迦様が描かれた涅槃図
は仏教の究極の理想である”悟りの世界”を表しているともいわれています。
※陰暦の2月15日は、現在の3月15日にあたり、この日に各寺院において
涅槃会の行事が行われる事が多いようです。
※涅槃とは、元来、物の消滅を意味する言葉であり、煩悩(ぼんのう)
をすべて取り払った悟りの境地である状態を指します。
●涅槃図の鑑賞の仕方
涅槃図は寺様毎に画風や内容が微妙に異なっていますが、概ね下記の様
な内容が描かれています。
京都・東福寺の涅槃図が有名で、毎年3月14~16日に展示されています。
■『沙羅双樹(さらそうじゅ)の木』
この沙羅双樹の「双樹」というのは、お釈迦様が亡くなった時、その四方
に沙羅の木が2本ずつあったという意味です。沙羅双樹という木ではあり
ません。その花がお釈迦様が入滅と同時に、季節外れの花を咲かせた後、
すぐに散り、その花びらでお釈迦様の遺体を覆ったといわれています。
■『お釈迦様』
中央の宝台の上に、頭を北にして横臥するお釈迦様が描かれています。
入滅の際、天から駆け付けた母が嘆き悲しんだため、威神力「(いしんりき)
=仏教用語で仏様の強い力」によって棺の中から身を起こされ、生死の真理
を説かれ後、大光明を放ち百千もの仏が現れ、お釈迦様と母に向かって合掌
したといわれています。
この光景は釈尊の金棺出現(きんかんしゅつげん)と呼ばれ、神奈川県小田
原市の松永記念館にこの時の情景を描いた図が国宝として納められています。
※クシナガラ(現在のインドのウッタル・プラデーシュ州東端のカシア付近
の村)から北の方角にお釈迦様の故郷であるルンビニがあり、ご両親に足
を向けることは出来ないとの想いから北に枕を据えたようです。
これが北枕の起源となっています。
■『摩耶夫人(まーやぶにん)』
お釈迦様(ゴータマ・シッダッタ)の生母。シッダッタの生後7日後に没し、
仏教の世界観に現れる天界の一種「とう利天」(とうりてん)に転生され
ました。涅槃図ではシッダッタを病から救うために天界から駆け付けた様子
が描かれています。
■『薬袋(やくたい)』
お釈迦様の母 摩耶夫人(まーやぶにん)が、病気の我が子のために天から
投げたとされる薬の入った袋です。しかし残念ながら沙羅双樹の木に引っ掛
かってお釈迦様のもとには届かず入滅したといわれています。
※例えお釈迦様であろうと誰であろうと、「死」は免れないという事を示唆
しています。この行いは「投薬」(とうやく)の起源となっています。
■『動物』
八本の沙羅双樹に囲まれ、台座に横臥するお釈迦様の周囲に描かれた弟子や
見守る人たちとともに描かれた図の下方には十二支をはじめとする様々な
動物たちが描かれています。
※「お釈迦様の死を悲しんでいる」という意味で、人と動物分け隔てなく、
生きとし生ける物すべてに慈悲の心を持ったお釈迦様の徳を表しています。
全国的にも大変珍しい、「猫(ねこ)入り涅槃図」と呼ばれるものがあり、
日本では十数例しか確認できていません。
<補足>
『お釈迦様の誕生と入滅(ご臨終)』
本名(ゴータマ・シッダッタ)
または称号を加え、釈迦牟尼世尊・釈迦牟尼仏陀・釈迦牟尼仏・釈迦牟尼
如来とも呼ばれます。
紀元前5~6世紀頃ヒマラヤ山脈の麓(インドの北部、現在のネパール地方)
にあった釈迦国(シャーキャ)の国王シュッドーダナとその夫人マーヤーと
の間に王子として生まれた実在の人物です。
母 摩耶夫人がお産で実家に戻る途中、ルンビニの園でお釈迦様が誕生しま
した。しかしながら摩耶夫人はお釈迦様を生んだ7日後に亡くなられ、その
後マーヤーの妹であるマハープラジャーパティーがお釈迦様の養母となり
ました。
「四門出遊」(しもんしゅつゆう)が契機となり、29歳の時、王子の身分、
妻子を捨て出家しました。出家後、6年間に及ぶ苦行を積むものの、根本的
な悟りは得られず、一時苦行を断念し新たな修行を試みます。
※四門出遊…生きていれば、「生老病死」(しょうろうびょうし)から逃
れられないという無常「(むじょう)=仏教用語で一切の物
は生滅・変化して常住でないこと」
35歳の時、ブッダガヤの大菩提樹の根元で静かな瞑想に入り、悟りを開き、
仏となりました。その後、40年間に及ぶ仏教の普及活動に努め、最後は
クシナガラの沙羅双樹の下、享年80歳で入滅されました。
この時の状況を描いた図が涅槃図となって後世に言い伝えられています。
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